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館長だより

ミモザのリース(館長だより⑭)『常識の出発点』2019.7

『常識の出発点』

   小学校の修学旅行。皆さんにはどんな思い出がありますか。私が今も思い出すのは、ドキドキ緊張しながら皆で入った大浴場でのこと。いきなりバシャーンと頭からお湯をかぶって髪を洗い出した友達に、「え? お湯につからないの?」と聞くと、「ぜ~んぶ洗ってから湯船に入る」と言います。周りを見渡すと、湯船に入る子、洗い場にとどまる子、顔から洗う子、体から洗う子…。まちまちです。
   わが家の生活習慣はわが家固有のもの。核家族で交友関係も狭かった家で育った小学生の私にとって、それは大きな発見でした。
   子どもの行動は、親がすることが基本。子どもにとっては家庭が社会。家庭が常識の出発点になる。言語化はできないまでも、そういったことを私はそのとき感じたのだと思います。
   子どもの頃から家族で家事を手分けする姿を見て育てば「家事は協力するものだ」、母親だけが担う家庭では「家事は母親がすることだ」と刷り込まれ、それが常識の出発点になるでしょう。家族の誰かが暴力的な支配をしても、外の世界を知らない子どもは悲しさや辛さを感じながら、社会とはそういうものだと思い込んでしまうかもしれません。
   成長に伴い社会が広がれば、自分の価値観に疑問を持つ機会を得られます。とはいえ常識が価値観のベースになっていることを思えば、常識の出発点の重要性に気付かされます。
   親、またその親から引き継がれてきた常識とそこから形成された価値観も、時には疑ったり、見直したりする姿勢を持ちたいものです。常識はそれぞれに違い、また時代と共に変わることもあるという前提で。

はあもにい館長 坂本ミオ
小学校の修学旅行。皆さんにはどんな思い出がありますか。私が今も思い出すのは、ドキドキ緊張しながら皆で入った大浴場でのこと。いきなりバシャーンと頭からお湯をかぶって髪を洗い出した友達に、「え? お湯につからないの?」と聞くと、「ぜ~んぶ洗ってから湯船に入る」と言います。周りを見渡すと、湯船に入る子、洗い場にとどまる子、顔から洗う子、体から洗う子…。まちまちです。
わが家の生活習慣はわが家固有のもの。核家族で交友関係も狭かった家で育った小学生の私にとって、それは大きな発見でした。
子どもの行動は、親がすることが基本。子どもにとっては家庭が社会。家庭が常識の出発点になる。言語化はできないまでも、そういったことを私はそのとき感じたのだと思います。
子どもの頃から家族で家事を手分けする姿を見て育てば「家事は協力するものだ」、母親だけが担う家庭では「家事は母親がすることだ」と刷り込まれ、それが常識の出発点になるでしょう。家族の誰かが暴力的な支配をしても、外の世界を知らない子どもは悲しさや辛さを感じながら、社会とはそういうものだと思い込んでしまうかもしれません。
成長に伴い社会が広がれば、自分の価値観に疑問を持つ機会を得られます。とはいえ常識が価値観のベースになっていることを思えば、常識の出発点の重要性に気付かされます。
親、またその親から引き継がれてきた常識とそこから形成された価値観も、時には疑ったり、見直したりする姿勢を持ちたいものです。常識はそれぞれに違い、また時代と共に変わることもあるという前提で